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  • 執筆者の写真もりちえ

新年・寺子屋ハウスの夕食会 


今回は、シェフの本格カレーと違うワイワイガヤガヤ、ちょっと焦げ入りマイルドカレー.ゆで卵もアーダコーダと現場の工夫が入っています.

何がどう転んでも楽しくなるに決まっているのが寺子屋の夕食会.

なぜなら、やってくるみんなが「楽しくする」と決めているからなのでしょう.

頼みの正太シェフがお忙しくて、プロの味には再会できなかったけれど

原田タケル氏特製の「寺子屋のお子様カレー」は、意外にも(失礼)美味しかったし、「ハラ減ったー、まだぁ?」としびれを切らしたタイミングでの「いただきます」ソースも最高だったのでは?

さて、

ここでは、喧噪の中で拾った一場面から書きます.

一見不快だけれど、そして、不快な表情を示す人も少なくないユリナさんの弾けぶりを毎週受け入れている寺子屋の存在が良いと思っているスタッフの視点です.


「うるさい」「だまれ」とののしられたり、時にはぶたれたりしながらも、

全然負けていない、頑として自分のスタンスを確保できていること、

それができる場所を、子どもはそれぞれ持って欲しい.

そういう場所でさじ加減とか自分の守備位置というか、ポーズを選んで行くことが

社会的な生物であるヒトの子が学ぶことだと私は考えています.

一方、「誰も注意しないなら、私が」と正義感(と苛立ち)に駆られるレミさんの性分が為せる発言や行動も面白い.さて、面白がっていて良いのだろうか?

と、昨日は少し緊張して見ておりました.

ふたりの力関係に任せて良いのか、

それとも、一瞬でも哀しそうに大人しくなってしまったユリナさんに、

何らかの加勢をするべきなのか.

その場でも今でも、よくわからないのです.

「あのときどうすべきだったか」

ただ居心地が悪かったことだけは確かだった.

ともかく、寺子屋が大切にしなければいけないのは、「ルールは子どもたちが決めていく」ということなんだよね、と帰る道々、改めて考えていたのですが.

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